「本来の日本の家づくり」とは

はじめに

たくさんの家づくりの方法が氾濫している。
日本の価値観はこの半世紀のあいだに大きくゆれ動いてきた。
私たちは多くのものを得たかわりに、多くのものを失った。それは家づくりにもあてはまる。

木造在来軸組工法は生産性が低いとされ、古くさいイメージばかりが残り、
新しい工法とハウスメーカーが台頭し、最近では輸入住宅も多く建ち始めている。

街並みを見ても、住宅展示場を見ても、そこには国籍不明の住宅が建ち並び、
街からも家からも、住む人の顔が見えてこない。

しかし一方で、戦後の、とにかく住宅を持ちたい、という家づくりは一巡し、自分のスタイルを、
生き方を、思想を反映させた、自分好みの家に住みたい、と考える人々もまた増えている。
個性を大切にする人々は、機能だけが詰まったただの箱のような家に住もうとは思っていない。

一人一人が個性をもった個人として、様々な文化を持つ人々と交流を始めたときに、
自分自身が存在するバックボーンとしての文化の重要性に気づくだろう。

日本人が日本の伝統と文化をきちんと受け継いでいる住宅に住むことが、
これからの時代に非常に大切なことだ、と私たちは考える。。

住宅業界にかかわる多くの人たちから、
「これからどのような家づくりをしていったら良いかわからない。
どうすれば工務店が住宅業界で生き延びることができるだろうか」という声が聞かれる。

建設業界の工業化は、今後もますます進むだろう。それは住宅も例外ではない。
添付され、「安心な住まいですよ」と説明されて・・・。
でも、それはプレハブ、大手ハウスメーカーやそれに追随する住宅会社の造る住まいであって、
私たちがつくろうとする家ではない。

国産の木材をふんだんに使い、木架構の美しさを生かし、
日本の伝統的美意識と文化の奥深さを感じさせる新しい木造在来軸組工法の家を、
若い人たちでも建てることのできるコストで、天然素材と職人さんたちの手仕事でおしゃれに造ることができたら、これからの住宅のスタンダードとして確立できるのではないだろうか。

木造在来軸組工法の良さと将来性をもう一度見直し、人の住む住宅ぐらいは工業化されたものでなく、
生き生きとみずみずしい生気あふれる家がいい。

住宅の二極化はますます顕著になり、人々の自然観、人生観、哲学まで問われる大きな選択肢となって、
今私たちの眼前にある。

構造美

木架構の美しさを知る人は多い。上棟時に、木造在来軸組工法の家の構造が建ち上がった時の美しさを身近に見ることができる。整然と柱が立ち並び、規則的に理にかなった梁がかけられていく。
よく練られ、よく検討された軸組はそれだけで美しい。

建物の大小問わず、材の大小問わず、それぞれが自らの全存在をかけて力を受け持っている。
それぞれの構造材はエネルギーに満ち、はりつめた充実感さえ感じさせる。
無駄のない合理性と力学的バランスの見事な調和は、機能美だけでなく、
見る者に安心感をも与えてくれる。そして、その完成度の高さは、
そのままコストパフォーマンスの高さに直結している。

構造美を生かしたデザイン、架構と間取りと開口部を同時にバランスよく成立させた美しさは、
木造在来軸組工法ならではのものだ。

独自のデザインの素晴らしさを忘れ、軸組の美しさを隠す大壁仕様の木造建築。柱を隠し、
架構はすべて天井の中。
構造の特長をすべて覆い隠してしまった家づくりを大いに反省すべきときに来ている。

木造在来軸組工法は真壁で造る。無理をしない範囲で美しい架構を見せる。
木造在来軸組工法の再生のカギは構造美が握っている。

自然観

「えみ」という言葉がある。漢字では「笑み」と書く。
人が笑うことを「破顔する」などと表現することがあるが、転じて、
果実などが熟れて口を開くこと、自然に割れが入ることをいう。

「笑みが入ってきましたね」「笑んでいますね」などという。
木造の梁に、柱に、自然に入った割れは「笑み」という。
長い間使い続けた花器に自然に割れが入ってきたときも、「笑みが入ってきましたね」と表現する。

日本人にはこういう感性がある。自然な事柄のなりゆきを受け入れて、なおかつプラスに転じてしまう。 とても豊かな心の広がりを感じさせる。
日本人の美意識の根源は、こんなところにも潜んでいるような気がする。

すべてのものが、時が経つうちに変わっていく。無キズのものにキズがつき、
新しかったものもやがて古びてゆく。でもそれは、決して物の価値を削り取っていくものではない。
物の本質が変質していくものでないかぎり、それらが尊いと思えるようになってくる。
豊かな自然観と深い精神性は、日本人の美意識に通じている。

新しくてきれいなものだけが良いものではない、ということを、
多くの化学製品を身近に使ってきた私たちは改めて気づかされ、先達の豊かな自然観を思い出す。

気候風土

地域の気候は、その住まいの形成に大きな影響を及ぼしている。
精神性はもちろんのこと、物理的な面でも、それは顕著に表れている。

その地域にどんな建築材料があるか、気候はどうなのか、雨は、風は、太陽は、暑さは、寒さは・・・。
多くの要素が集まって、地域の住まいが形成されていく。

木造在来軸組工法の家が、日本の気候風土に適している、ということに異論をとなえる人はいない。

木造住宅はすぐ腐ってしまうのか。すぐ白蟻に食われてしまうのか。高温多湿の気候だから、
木の家は耐久性がないのか。そんなことはまったくない。

乾燥をよく保たれている木は、決して腐ることはないし、白蟻にも食われない。
法隆寺などの多くの木造建築が1000年以上の歴史を刻んでいる。
それは何か特別な木を使っているからではない。
住宅で使われる木材と基本的にはまったく同じ木を使っているのである。

強靭さ

阪神大震災で多くの木造家屋が倒壊したことは記憶に新しいが、倒壊した家屋のほとんどが、
構造上、計画上、何らかの欠陥があった建物だった。

その後の調査の結果や耐震実験などの報告によっても、構造的によく吟味され、
合理的に計画された建築は、十分な耐震性があることが実証されている。

建築物はその工法によって様々な特性があるが、木造在来軸組工法の最大の特徴である靭性について、
よく知っておく必要がある。ねばりのある弾力性に富んだ工法が、
この国の建築にいかに大切なことであるか再認識すべきである。

ひんぱんに地震にみまわれ、毎年台風による強風にあおられる日本の家屋にとって、
その柔軟性は極めて重要な構造上の要素である。木造在来軸組工法の三重の塔、
五重の塔がなぜ倒れないか。超高層ビルがなぜ柔構造を採用しているのか。

版築で突き固められた基檀と呼ばれる人工地盤の上に大きな礎石を据え、
その上にバランスの良い柔軟な構造物をのせた寺院建築は、
この国の建築のあり方をよく語ってくれている。

生気あふれる

住環境における室内化学物質の問題は、これからも大きな課題として常に家づくりの現場に存在し続けるだろう。すべての工業製品に劣化が避けられないならば、
この問題は研究が進めば進むほど際限もなく広がっていく可能性がある。
シックハウス症候群の解明は、まだ始まったばかりである。

人が暮らす家、子どもが育つ住まい。人の住まいでの大切な安らぎと癒しの場である住空間は、
自然素材で造るべきだと考える。もっと言うならば、生気あふれる生きた素材で造られたほうが良い。
人はもののもつエネルギーから大きな影響を受けて生きている、と考えるからだ。

自然界に存在しているものは、すべてエネルギーを内に秘めている。
私たちはどんなに精巧につくられていようと、まがい物と本物の見分けをつけることができるだろう。
本物の質感とは、そこからエネルギーを感じ取れるということだ。

庭に同じように地面から顔を出している2つの石がある。片方は大きく、大半が地中に埋もれている。
片方は小さく、表面に出ているぐらいの大きさしかない。
私たちは、その大小を容易に見分けることができる。

法隆寺に行き、五重の塔の柱の割れ目に鼻を近づけて、においをかいでみる。かすかに桧の芳香がする。
1000年以上建っている柱は、今だに木としての生命を宿している。
古材を解体し、削ってみると、みずみずしい木肌が現れる。ぷうんとにおいがたちのぼる。

木造在来軸組工法の家では、このような生きたエネルギーを内に宿した材料で住まいづくりができる。
何より素晴らしいことだ。

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